「ふりそでの少女」の大型紙芝居をいただきました。【ご報告】
みなさん「ふりそでの少女」を知っていますか。
長崎の原爆で亡くなった二人の少女のことを描いた絵本「ふりそでの少女」(松添博作・絵/汐文社)
この度、綾部市図書館に23年前にこの絵本をもとに作成された大型紙芝居をご寄贈いただきました。
ニ人の少女のうちの一人、福留美奈子ちゃんのお母さんの福留志なさんは綾部市の方です。
志なさんは当時、夫の仕事の関係で、娘の美奈子ちゃんを長崎市の親戚の家に預けて中国の上海におり、帰国後、美奈子ちゃんが被爆死したことを知りました。
戦後29年目に一枚の絵「悲しき別れ~荼毘」を描かれた松添博さんが、一人の少女・美奈子ちゃんのお母さんが綾部に住んでいることを探し当て、初めて志なさんと対面!その2年後に長崎へ「鎮魂の旅」をされ、絵の中の娘と涙の対面!それから毎年、広島へ修学旅行に行く綾部中学校に千羽鶴を届ける「おりづるのおばあちゃん」でした。
絵本を描かれた松添さんとの写真
被爆50年目の春「長崎に供養の地蔵を建てたい」との手紙を綾部市立綾部中学校生徒会に送ったのがきっかけで、その夏「ふりそでの少女像をつくる会」ができ、全国から寄せられた募金で「未来に生きる子ら」(ふりそでの少女)像が長崎原爆資料館の屋上に建てられました。
2009年11月、107歳で亡くなられた志なさんのおうちから見つかった遺品も見せていただきました。
福留さんの家族写真
美奈子ちゃんの七五三のようす
福留志なさんは若いころ、京都市で初めての公立保育所で働いていたそうです。当時、綾部(山家)と京都(太秦)を往復した柳行李の中には美奈子ちゃんの為に志なさんが縫って着せたでしょう可愛い着物が入っていました。(その後、この柳行李は宮崎(都城)-長崎ー上海ー宮崎を旅して、志なさんが100年近く大切にされていたものです)
「ふりそでの少女像をつくる会」の伊達さん。今回伊達さんのご協力で大型紙芝居をいただくことができました。
ありがとうございました。
更新/2017年8月17日 10:28 AM┃カテゴリー:その他